このたび寺神戸亮氏のヴァイオリン独奏コンサートを開催できますことは私どものなによりの喜びです。 「平和と和解の研究センター」は2007年4月に一橋大学社会学研究科に設置された新しいセンターです。センターは学術研究ならびに多様な表現手段を通じて、皆様とともに平和と和解を追求する開かれた場となることを目的の一つにしております。 このたびは寺神戸亮氏のご理解、市民の皆様や学生のご協力、一橋大学社会学研究科の協賛をもちまして、センター開設記念コンサートの開催の運びとなりました。厚く御礼申し上げます。 どうぞ寺神戸亮氏の平和への祈りの音楽を充分にご鑑賞ください。
一橋大学社会学研究科 「平和と和解の研究センター」
(CsPR:Center
for the Study of Peace and Reconciliation)
共同代表: 足羽與志子 / 吉田裕
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平和と和解の研究センター開設おめでとうございます。
21世紀に入ってなお、人間は戦争やテロの恐怖に脅かされ、世界のあちこちで人々が殺しあい、傷つけあっています。事故や天災、自然の脅威などでそれでなくても人命が失われていくというのに、人間同士が傷つけ合うとはなんと愚かしい行為でしょう。
地球温暖化の問題は私たちの生活に直接影響を及ぼそうとしています。今こそ私たち一人ひとりの意識が目覚め、行動を起こさなくてはならない時です。
「平和」は太古の時代から人類の悲願でありながらなかなか達成されません。それは恐らく私たち一人ひとり、すなわち個人の中に平和が無いからではないでしょうか。平和への第一歩は人を許すことから始まります。人を許し自分も許す、これしか平和への道はないのではないかと思われます。
言葉で言うのは簡単ですが、いったん恨みを持ってしまうとそう簡単に許し、和解できるものではありません。これは個人レベルでも国家レベルでも同じことです。その証拠に、いまだに第二次世界大戦でのしこりは国家間の不和の元になっています。それはそれぞれが自分の側から見た理由や理屈を持っていて、それが相手と噛みあわないからに他なりません。しかしお互いに理屈を捏ねていては和解には至らないのです。
そんな場合、時には理屈を超えたものが役に立つ場合があります。たとえば音楽です。音楽は言葉を超え、国や民族を超えて人の心に語りかける力があります。
音楽でなくても絵画や他の芸術にも同じような力があります。それはこれらの芸術が人の心に感動を呼び起こすからでしょう。感動は人の心を大きくします。大きくなった心は人を許す余裕ができ、平和を願えるようになるのです。
世の中の状況が厳しくなってくると、どこの国でも最初にカットされるのが文化に対する予算です。音楽は真っ先にカットされます。人々の生活に直接必要ではないからです。食べ物がなくなったら生きていけませんが、音楽はなくても生きていける、というのが理由です。
しかし本当にそうでしょうか。世の中に音楽と完全に無縁で生きている人がいるでしょうか。一生に一度も歌を歌ったことも聴いたこともなく、手を打ち鳴らしたり物を叩いたりしてリズムを取ったことがない人などいるでしょうか。・・・音楽は実は人間にとって絶対不可欠のものなのです。音楽とは人間にとって根源的なものなのではないでしょうか。
実際音楽に携わっていて、いつも「世界平和」などと大それたことを考えながら演奏しているわけではありません。しかし何かの機会にお客様から、自分の演奏がその方の心の琴線に触れたようなことを知らせていただくことがあると、「蟻とキリギリス」のキリギリスである自分のしていることも何かの役には立っているのかも知れない、と思えることがあります。
今日の会場である兼松講堂は改修前にも一度訪れたことがあり、東西の建築様式を融合したこの建物でいつか演奏したいものだと思っていました。東西の文化の融合、ここにも平和のひとつの理念があります。日本人による西洋音楽の演奏にこれほどふさわしい場所はないでしょう。この機会を設けてくださった「平和と和解の研究センター」の皆様に感謝いたします。
2007年9月30日 寺神戸 亮
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